みちこの日常ぶろぐ

亀、ドジョウ、特撮、アニメ、旅、浅い趣味など日常系ブログ。誰にとも無くつぶやきたい。気持ちのごみ箱としてのブログ。

【閲覧注意】【重い内容です】ペットの死について考える

今まで重い内容の記事は書いていないので、今回はこれを読むことで不快に思われる方がいらっしゃる可能性を考え、題名に閲覧注意をいれました。

ここからの内容はペットの安楽死についてです。賛否両論あることだとは思いますが、私と同じ辛い思いを抱えている人の何かを、少しでも軽くできたらという思いで書きます。
長くなります。
 
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2013年8月28日、愛猫のスコティッシュフォールドの「うる」を亡くしました。
3年にも満たない、短い一生でした。
 
潤い、という意味を込めてつけられたその名の通り、私の人生に潤いを与えてくれる賢く優しい女の子でした。
 
うるはペットショップで安売りされていました。売れ残っていたのです。スコティッシュの垂れ耳もしっかり出ていて、毛並みも良く、なんでこの子が4ヶ月も残ってたんだろう?という不思議な子でした。
 
仕事から帰ってくると、ドアの前で待っていて、ブラッシングしてもらうのが好きでした。
そして、食い意地がはっていました。大好きなシーバの時はガサッという音がするだけでどこにいても飛んでくるような子でした。
 
ある日、仕事から帰ってくるとうるはドアの前にいませんでした。スーツを着替えて、ご飯の準備をしても出てきません。様子がおかしいと感じ、大好きなシーバのパッケージを大げさにガサガサと振りました。
来ません。
いそうなところを探しました。ベッドの下の奥の方に入り込んでいるうるを見つけました。
そこは、うるのお気に入りの場所ではありませんでした。むしろ、そこにいることが不自然なまでに今まで入らなかったようなところでした。
引っ張りだすと、床に這いつくばってハァハァと苦しそうに息をしていました。おかしいと思いました。そこからの行動は本当に早かった。
まず、動物病院に電話をして現状を説明。時間外だが見てくれるよう頼み、うるにハーネスを装着、バスを調べてすぐにキャリーに入れ出発。その頃婚約者と住んでいたため、彼にも連絡。婚約を破棄しようと話し合いをしている最中の事件でした。
うるはただ、くるしそうにハァハァと息をしていました。そしてじっと私を見ていました。
 
病院について見てもらうが、詳しくは検査をしないとわからない。とのこと。とりあえず、今は肺に殆ど空気が送り込めていないので苦しい、酸素室に入って、点滴を受け、落ち着いたら、エコーなどをやるので一度家に帰って待機して欲しいと言われました。
 
連絡待ちの時は気が気ではありませんでした。昨日の夜、おもちゃであんなに一緒に遊んでた。朝だって普通だったのに。
パニックになりました。家に帰らず近くのファミレスで連絡を待ちました。
約2時間後病院から連絡がありました。
 
うるの病気は肥大性心筋症というらしい。
心臓の壁の筋肉がだんだんと厚くなっていく病気で、血液を溜めたりする空洞がせまくなったりする。重症化すると肺に、酸素を取り込むことを難しくなる。
治すことはできない。
スコティッシュには多い病気だと聞いたことあります。うるの場合、先生がおっしゃるには先天的。
つまり、はじめから、心臓の寿命は3年弱だったって言うことです。
 
この日から3日間、うるは病院の酸素室に、入院しました。私も彼も仕事の合間に会いに来ました。日に日に弱るうるをみて、それでも何か望みがあるんじゃないかと思う日々でした。
しかし毎日、少しずつ、苦しそうな様子が強くなり、それでも酸素室でハァハァと息をするうるを見る。辛くて、何もしてあげられない自分を、ただ、虚しく息苦しく感じました。
そして考えに考えた末に先生に聞いたのです。
「うるは、治らないのですか」「延命をしている間、ずっと苦しいのですか」と。
聞いてしまったらどうなるのか、想像できていた。だから聞くのをためらった。
でも聞いた。だって、先生が説明で「肺の中に水がどんどん溜まっていってしまうから、水の中で息をしようとしているような状態です」って言ってた。想像したら、その状態を延ばすことは酷ではないかと。
 
先生は言いました。「治すことはできない」「今もこれからも、本人はずっと苦しいと思う」「薬で眠るように死を迎えさせてあげることも選択肢としてあります」と。
 
わかっていた。わかっていた言葉だったけれど、聞いた瞬間に、なんだか意識が、遠くのほうへ行ってしまうような、まるで自分のことではないような、そんな感覚になり、ただ、ただ、涙が頬を伝った。
 
一晩考えることにして家に帰った。彼と何度も、何度も何度も、話して、自分に言い聞かせて、このうるの苦しみをなるべく早く終わらせてあげようと、覚悟を決めた。
 
飼うと決めた時から、うるの命は私の責任。すべては私の意志で決めなくてはならない。投げ出せない。うるは、わたしたちが決めるのを、ただ待つしかないのだ。
水の中で呼吸するような息で命が尽きるまで苦しむのか、安楽死という方法を選ぶのか。
 
正直に言って、安楽死のほうがいいのだと頭ではわかっている。でも、万が一、家に帰ってきたら回復するかもしれないと、思ってしまうのだ。もし回復するかもしれないのに安楽死を選んだら、それは私がうるを殺したことになる。死なないで。いやだ。もっともっと、生きていて。
ぐるぐる、考えは堂々巡りで、でも容赦なく日はのぼり、泣いて、抱き合いながら、わたしたちはうるの安楽死を選びました。
 
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それからしばらくの間、私は重いペットロスを経験しました。ふとした時に、今までなかった心の穴に気が付き、涙を流し、自分の決断が間違っていなかったのかを自問自答する日々。答えなんて誰にもわからない、事が事だけに、そうそう人にも言えない。
辛かった。
 
そんな時、ふと、動物病院に勤務していた友人のことを思い出し、泣きながら久しぶりに電話をかけました。
彼女は私の話を黙って聞いてくれて、こう言いました。
「どうぶつは、全部わかっているんだって。自分がもうすぐ死んでしまうこと、それによって飼い主さんが悲しんでいること。死んでしまう時、どうぶつは怖くも痛くも辛くもなくて、ただ、受け入れる。生きている間はただ懸命に生きようとし、それができなくなった時受け入れて生命活動を終えるんだって。そして、飼い主さんのことを絶対的に信頼し、受け入れて、任せているんだって。満足している。とても幸せな気持ちで生涯を終えるんだって」と。
 
こころに、すっと、染みこんで、少しだけ、救われました。
そして思いました。わたしたちはペットや、家族や、友人や、恋人、周りの人のことを、まだまだ生きると思っている。
うるだって、猫の平均的な寿命までは生きるよね、と勝手に思っていた。
でも、うるの心臓はもともと、3年しか持たないものだった。知らなかっただけで。だから心の準備が間に合わなかったんだ。
 
寿命はわからない。だから大切な人の命がしっかりあるうちに、大切に伝えたり、撫でたり、感謝をしたり、普通に過ごしたり、ちゃんと一緒に生きたい。
 
はい、ここが寿命でした!と急に言われた時に、そうだったんだ、うん、悲しいけれど、辛いけれど、そうなんだね。と受け入れられるように生きていきたい。そう思いました。
 
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そしてもうひとつ、心を軽くしてくれたのが虹でした。お別れしたあの日、動物病院からの帰りの車の中から5分間だけ、雨も降っていなかった空のほんの少しの場所に虹が出たのです。嘘みたいでした。
ただただ不思議でぼんやり眺めたのを覚えています。
そして数日後有名な「虹の橋」の話を知りました。ご存知かもしれませんが、虹の橋のお話は、亡くなったペットはみんな、虹の橋のところに行き、飼い主さんが亡くなって天国に行く時までそこで遊んだりお昼寝したり穏やかに楽しく暮して待っていてくれるというものです。そして飼い主さんが天国に行く時にその橋を一緒に渡ってその後ずっと一緒に暮らせるというお話です。
不思議ですよね、亡くなったその日のほんの僅かな間だけ、虹が出たのは偶然なんかじゃなかったんだって腑に落ちました。
 
今、私は猫ではなく亀を飼っています。縁があり、一緒に暮らすことになりましたが、毎日、楽しく、穏やかに、そしてしっかりと命を抱きしめて生きています。